10周年コメント:ケガニ4

前回のつづき、結成してすぐの頃です。

 

~~~~~

どうして最初のメンバーがあの二人だったかといえば、一つには本当に暇そうにしていたというのがある。ヨコイは当時、汁(エキス、と読む)というエキセントリックなバンドのベースをしていたが、なんとなく辞めたそうな顔をしていた(失礼)し、トミーもやはりビッグバンドがなくなってどうしようかな、という時期だったからだ。でも、大きな理由は、一緒にやっていけそうだったということ。そしてそれはおそらく当たっていた。

 

自分の音楽遍歴を見てきても分かる通り、あまりエキセントリックなものは好きではないし、激しい転調、とか、急激にテンポが変わる、楽器を持ちかえる、みたいなことをやりたくなかったし、そうアレンジする能力もなかった。誰でもいつでも思い出せる、誰が作ったかわからないような普遍的な歌が好きだった。だから、曲を作る上で、鼻唄で歌えないものや、次の日にぱっとメロディが出てこないものはボツにした。一緒にバンドをやるなら、そういう、「実直さ」みたいなものを共有できる人がいい、と思っていたし、彼ら以外にそういう人間はおそらくいなかったのだ。

 

その頃軽音には年末年始にかけて、長短、巧拙にかかわらずどれだけ曲数を作ったかで部員同士が勝負する「曲作り対決」という伝承があった。僕はその冬に15曲くらい一気に作り――それでも優勝はできなかったけれど――、それからのバンド活動の骨組みを作った。僕らがお手本にしたのは先輩の「ベクトルズ」というバンドだった。ときたま、好きなバンドベスト3を訊かれると、かならず彼らの名前を挙げるくらい、今でもずっと聞いている。スリーピースなんだけど、いなたいビートルズみたいな感じで、とにかく音符や手数が少ない。そうしてスカスカな伴奏だからこそ、かえって歌をしっかり伝えることのできるバンドだった。ジャンルに分けるとすればロックンロールだが、ギターボーカルは弱腰で、そのギャップから生み出される音は分類できない。けれど、メンバーの3人はみんな就職を決めていて、僕が出会った頃にはすでに次の4月で解散する予定だった。彼らの最後のライブを見るために、はじめて拾得に行ったのを覚えている。あんまり音楽を聴いて泣くことはないけれど、そのときは涙が止まらなかった。