10周年コメント:ケガニ3

今日ははじめて自分で曲を作り、バンドを結成するまでです。当時の軽音にいたバンドについてなど。固有名詞ばっかりですが、わかんない方ごめんなさい!

はじめて曲を書いたのは、2008年の2月ごろ、部内ライブの日だった。たしかそのときは、何人かの弾き語りと、ベクトルズ、Superfriends、夜酔ばんどが出演していたんだったと思う。自分で作った曲を演奏するということの面白さに気づいた日だった。誰かの頭の中から出てきた音を囲んで、楽器が鳴っている――ドラムが地響きをたてる、ベースがそれを進める、(とくにSuperfriendsは)ギターが爆音で鳴っている。すきま風がひっきりなしに入ってくる、ぼろぼろの部室の中で、みんな寒さに震えながらニヤついていた。

 

そしてなにより、歌詞があってメロディがある、という当たり前のことが新鮮で興奮した。裏を返せば、そのふたつだけあればもう曲になるということだ。出番順などはあまり覚えていないが、最後の演奏が終わると、挨拶もそこそこに、僕はすぐに自転車に飛び乗ってアパートに帰り、ギターを弾いて頭の中に浮かんだメロディを形にする作業に没頭した。当時はたしか録音機材がなかったから、A4の白紙に歌詞を書き殴って、覚えるまで繰り返し歌った。そうやって僕は、「春一番を待ちながら」という曲を書いた。それからたびたび、曲を作っては部内ライブで演奏した。結局その後はボツになった曲ばかりだけど、ほめてもらえると嬉しかった。

 

その次の冬、大学2年生となった僕ら同期たちのあいだには、なんとなく曲を作れる人がリーダーになってバンドを作る、という雰囲気がすでにあった。大半を忘れてしまったけど、Subterraneans、汁、群雀、ウエバニーズ、など。先輩方がライブハウスでブイブイいわせているアクティブな方々(前述の人たちに加えて、みかとやす、ベクトルズ、モノリス、JUJU、レディハンターズ、Z-Z言語「ウ」、ビザルブルース、など)だったので、すげーなぁと思いながら、やっぱりどこかで自分のバンドをやってみたいという思いがあった。メンバーは頭の中では決まっていた。そこで、前回書いたビッグバンドが代替わりするころ、西部講堂で初代ベースのヨコイと、初代ドラムのトミーの二人に声をかけたのでした……。