10周年コメント:トミー、ヨコイ

10周年コメントのつづき、今日は初代ドラマーのトミー、初代ベースのヨコイです。西部講堂で彼らを誘って二つ返事でOKをもらったのがバンドにズブズブはまってしまったそもそもの発端ですから、罪深い二人であるとも言えるでしょう。恨んでも恨みきれません。

 

今回、それぞれ二人らしいコメントをいただきました。10周年企画でセンチメンタルになっているせいでしょう、久しぶりにひとの書いたものを読んで、何度も目頭が熱くなりました。ついには鼻水までズビズビ出してしまいましたが、これは風邪のひきはじめでしょう。はずかしいものですね、葬式じゃあるまいし!


松ノ葉楽団10周年おめでとうございます!

 

前身のバンドと合わせて10年の付き合い。

 

京都中のライブハウスを回りました……。

 

大概、最後の最後まで残って飲んでましたね……。

 

今では京都を飛び出して全国で活躍する松ノ葉楽団、今後もひいきにします!

 

改めておめでとうございます。

 

トミー


松葉から、松ノ葉楽団の10周年にあたり、なんか書いてくれと頼まれた。わたしは目先のことにすぐ夢中になって、通り過ぎたことは結構スンッと忘れてしまうタイプだけど、それでも、PLANETZ(松ノ葉楽団の前身バンド)や松ノ葉楽団で過ごした日々は心の色んなところに引っかかっている。思い出せるだけ書いてみることにする。

 

わたしが松葉とマトモに話したのは、多分、大学二年生の、それも多分バンドを組む流れになる少し前くらいだった。京都大学軽音楽部というサークルに互いに所属はしていたけれど、当時はサークル内に「ジャズ系」、「ロック系」、という二つの枠があり、向こうは「ジャズ系」こっちは「ロック系」とそれぞれが別の枠に収まっていたので、あまり接点もなかったように思う。そんな状況で、彼がわたしをバンドに誘ってくれた理由は、……そういえば聞いたことがなかった。何故だろう? まあ、きっと暇そうにしているベーシストが他にいなかったからだろうけれど、今になって思い返せばあの時暇していて良かったなあと心底感じる。

 

閑話休題、そんなこんなでなんだか気がついたらドラムに一学年下のトミーを誘うことになり、気がついたらPLANETZというバンドが爆誕していた。我々の知らないどこかで小さな惑星がひとつ生まれるように、最初は実感の薄い、でも自然な話だったように覚えている。京大の西部構内でゆるりと始まったちっぽけなバンドは、おかげさまで、年を重ねるにつれ、物好きな人から愛されるようになっていった。もちろん、いつも順風満帆だったわけではない。音楽性が変わったり、バンドコンセプトが迷走したり、メンバーが留年したり、不味いライブアクトをしてしまったことも幾度となくあった。バンド解散の危機も、わたしが覚えている限りは一度だけあった(何があったか気になる人は松葉に聞いてみてほしい)。

 

それでも概ね、PLANETZ/松ノ葉楽団の活動は、そりゃもう楽しかった。曲を褒められたり、アレンジを褒められたり、ライブを褒められたりは言うまでもなく。サークルの某先輩の格言である、「バンドの良さはメンバー同士で飯を食った回数に比例する」を体現するため、スタジオ終わりやライブ後の夜中に楽器背負ってチャリ漕いでラーメン食べに行ったり。メンバーの実家巡りツアーと称して、香川・福岡のライブハウスにブッキングを入れてもらい、レンタカーに楽器と一緒にキュッと乗り合わせて遠征に出て、夜は宿代節約のためにメンバーの実家に泊めてもらったり。辛口評価のサークルの先輩が、我々のライブの時に最前列で踊りながら聴いてくれているのをステージから目の当たりにして、その日の打ち上げの酒が超美味かったり。大学を卒業して社会人になっても、そのままバンドを続けられることになったり。大都会トーキョーは高円寺のライブハウスに、これもレンタカーで遠征に行ったり、新宿のタワレコにCDを置いてもらったときいてホクホクと見に行って写真を撮ったり。楽団員が増えて、表現が増えて、松葉のやりたい音楽を少しずつ実現できるようになってきて、初めて会ったお客さんに「いいねえ」と言ってもらえるようになったり。

 

そうしていつからか、比較的初期の頃からだったと思うけれど、このバンドのおかげで、わたしはベーシストとしてやっと自分の足で立てるようになった(あくまでも主観の話であって、周囲からどう見えていたかは知らんけど)。

 

いや、正確に言うと、立たなくちゃいけないなと自覚するようになった。何故かって、それは、松葉の作ってくる曲が好きだったからだ。

 

ロックな曲もあった、ナイーブな曲もあった。ころっと出来上がった曲もあれば、生まれそうでしかし結局生み出せなかった曲もあった。松葉は存外(これもわたしの主観だけれど)ぽこぽこ曲を作ってくるので、バンドの中で全てを完成させられたわけではない。これはやってみて初めて分かることだけど、音楽も畑の作物のようなもので、うまく実るものもあれば、選別の上で間引きされるものも、力及ばず枯らせてしまうものもあった。だけど、そのひとつひとつがわたしは好きだったし、バンドの手のひらの上に乗せた以上はたとえ欠片でも愛でたかった。間引きした曲を口ずさみながら京の町をチャリで走ったことなど、数えきれないほどある。そういう“好き”が、技術も知識も少ない当時のわたしをPLANETZのベーシストたらしめていた。いや、もしかしたら、松ノ葉楽団を離れる最後の最後までそうだったかもしれない。情けない話、それしかなかったかもしれない。

 

ああでも、あともうひとつ、あえて挙げるとするなら。松葉とそれにまつわる人々が、愛情深かったからだ。その愛情に、何はなくとも応えたかった、彼らが“好き”だったから。PLANETZ/松ノ葉楽団のベーシストとしての「ヨコイ」は、そんな成分で構築されてステージに立っていた。

 

うん、でも、きっとそうだ。あなたもそうでしょう? 今なら何となく分かる、わたしだけの話じゃない、多分。きっと、こうしてPLANETZ/松ノ葉楽団は、松葉が元々持っている愛情と、我々メンバーがそれに応えて返そうとする愛情と、聴いてくれるお客さんや支えてくれる人々がほろっと抱いてくれる愛情が、麹菌のように壁によおく染み込んだ酒蔵になっていったのだ。だから、その中で醸される音楽は、なにがあっても今や松ノ葉の味に仕上がるのだろうな。たとえばわたしのようにバンドからメンバーが抜けてしまったり、誰かがその時だけのセッションで加わったり、新曲にちょっと目新しいアレンジをしてみたり、はたまた世界にあふれる名曲の数々をカヴァーしたりしても、ちゃんと松ノ葉の音になる。そんでもって、ほら、ついに、その気になれば10年もののヴィンテージをリリースできるほどに歴史を重ねてしまった。

 

こんな機会でもなければ面と向かって言うこともないだろうから、最後にきちんと綴っておこう。松ノ葉楽団の“酒蔵作り”に携わることができたのは、わたしの人生にとって、ひとつの大切な財産だ。松葉と松ノ葉楽団がこれからもじんわりと胸を張ってゆくならば、それだけわたしも誇らしい。これからも細々ときらめいてゆくならば、それだけわたしの人生も輝くだろう。

 

松葉くん、あの時わたしを誘ってくれて、本当にありがとう。松葉を、松ノ葉楽団を、徒然なるままに愛でそして支えてくださる皆様、同志よ、どうもありがとう。これからも愛飲よろしくお願いいたします。

10周年おめでとう。

 

2018年12月吉日

 

ヨコイ